斑島の草原
所在地:長崎県小値賀町 > 斑島郷
面積:6ha
全国草原再生ネットワークでは、日本各地の草原のデータベース化を進めています。
現在、情報は主に以下の方法で集めています。
・保全団体、個人からの情報提供
・エクスカーション(現地見学)による現地の確認
・アンケートによる実態の把握
・インターネット検索
なるべく多くの日本の草原を、実際に目や耳で確認し、より確実な情報の整備を進めていきたいと考えております。しかしながら、数多くの草原に対してスタッフは限られているのが現状です。そのため現在のデータベースはインターネット上の情報に頼っているところが多く、情報の確実性については一部保証できない草原もあります。ご了承の上、ご利用いただけますようお願いいたします。
また、より充実したデータベースとするため、皆様からの情報をお待ちしております。
情報に不足や間違いがございましたら、事務局までご一報お願いいたします。
画面右側の「都道府県から見る」よりご指定ください。
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より大きな地図で 日本の半自然草原マップ を表示
[凡例]乾性草地:ススキやカリヤス、チガヤといった植物が生育する草地 | |
湿性草地:ヨシやオギといった植物が生育する草地 | |
採草により、草地の利用や管理が行われている。 | |
放牧により、草地の利用や管理が行われている。 | |
火入れ(野焼き・山焼き)により、草地の管理が行われている。 | |
その他の管理や利用が行われている。 例:山菜採取、生物多様性保全等 | |
※情報整理中、または情報不足です。 |
所在地:長崎県小値賀町 > 斑島郷
面積:6ha
所在地:栃木県日光市 > 土呂部地内
面積:4.93ha(昭和30年代に24haあった牛の採草地が2013年に6haに減少。そのうち4.93haを日光茅ボッチの会が保全している。)
栃木県内でまとまった面積を持つ唯一の半自然草原とされている。県内では土呂部でしか見られない植物もあり、県レッドデータでも多様性に富んだこの草原環境の保全が提唱されているほか、環境省による絶滅危惧植物の遺伝子保存のための種子採取対象地にもなっている。
江戸時代から冬期の牛馬の飼料・敷き草として茅を利用してきたとされるが、頭数の激減によって草地が縮小した。2013年から日光茅ボッチの会による保全活動が行われ、カッパ(茅場)に茅ボッチが積まれた風景が復活した。昔は近隣の今市地域や三依地区などにも茅ボッチが見られたという。
所在地:大阪府高槻市 > 鵜殿・上牧
面積:75ha
所在地:愛媛県伊予市 > 野村町
面積:740ha
日本三大カルストのひとつである四国カルストの西部にあたり、標高は1,000〜1,400m。周囲にこれより高い山がないので眺望がよい。
四国カルストは西から大野ヶ原(愛媛県伊予市)、姫鶴平(愛媛県久万高原町)、五段高原(愛媛県久万高原町と高知県檮原町・津野町)、天狗高原(高知県津野町)と連なる。南側の源氏ヶ駄場も大野ヶ原高原に含み、ここにはホルスタインなど乳牛が放牧されている。
1907年、大野ヶ原一帯が陸軍大砲実弾射撃大練兵場に指定され、第二次世界大戦中は軍用馬の放牧場として使われた。戦後には開拓地となったが、土壌が酸性のうえ豪雪地帯でもあったので農地に適さず、放牧が盛んになった。四国カルストは以前、中国四国農政局 四国カルスト草地改良事業所による大規模草地造成事業が行われたため、牧草地でない半自然草原が残っているか確認が必要である。
伊予市最後(愛媛県最後であった可能性も)の茅葺き職人浅野頼光さんが2014年に亡くなり、この地方の茅葺き技術は途絶えた。大野ヶ原の茅が使われた野村町平野地区にある「松の窪堂」は、市内の材料で市内の職人が葺いた最後の茅葺屋根となった。それ以降は高知県の職人に依頼している。
1997年に野村町の市指定文化財「土居家」の葺き替えをした際は、「一人一束運動」と称して1万5000束を住民の手で3年がかりで集めた。
所在地:熊本県人吉市 > 田野町字萩ノ尾
面積:35ha
所在地:群馬県館林市
面積:40ha
所在地:兵庫県豊岡市
面積:23.5ha(万場スキー場)
神鍋高原は広い地域名で、その中で「神鍋山の火口部および外側斜面の山焼き」「万場スキー場のカヤ刈り」を記載する。
所在地:福岡県添田町 > 大字英彦山
面積:6ha
英彦山スキー場跡地で、斜面6haにススキ原が広がっている。今は英彦山野営場がある。
所在地:熊本県阿蘇市
面積:1,600ha(阿蘇全体で)
所在地:群馬県みなかみ町 > 上ノ原
面積:21ha(1年に焼くのは2ha程)
(googlemapからの自動計算 8m)
上ノ原は、かつての茅場(ススキ草原11ha)と薪炭林(ミズナラ林10ha)からなる元入会地(21ha)。これを2013年、森林塾青水(せいすい)がみなかみ町から借り受け、40年ぶりに火入れを再開するなど再生に努めている。
昔は200haの広大な茅場で、牛馬の飼料や屋根材や堆肥として活用されていたが、1960年を最後に地元での葺き替えも行われなくなり、1980年にはゴルフ場がオープンし草原面積は激減した。